第24回大江戸ワープの実施内容
下記のとおり開催しました

内藤新宿散策
「副都心新宿の町中に江戸を探る」

〜内藤新宿女郎の投げ込み寺、六地蔵など、
内藤新宿の御利益ある寺社を訪ねる〜


平成24年11月6日(火)、昨日の陽気も一転して生憎の雨の中、JR新宿駅集合時間11時に、参加者10名が揃いました。


午後から小降りになるとの予報を期待して雨の中を出発しました。新宿駅東口を出てすぐ前に「馬水槽」があります。知らない人はあるのも気づかないでしょう。「馬水槽」から少し先に行くと「西条八十のモニュメント」がありますがほとんどの人が見逃してしまいそうです。新しくできた「ビックロ」の前を通り、伊勢丹の横を抜けて「花園神社」に向かいます。「花園神社」は一の酉(11月8日)の前であり、境内は準備中の屋台で一杯でした。雨


の中、早々に引き揚げ昼食に予約した「銀座アスタ」へと向かい、冷えた身体を癒しました。

食事とコースの説明に1時間ほど掛け、雨が小降りになったところで次の予定地へと出発、途中、廻り道になるが、「銀座アスタ」の裏側にある「末広亭」の前を通り、「投げ込み寺」といわれた正覚寺へと向かいました。
正覚寺の門を入ると、右手に六地蔵が並び、左手の塀沿いに旭地蔵と恋川春町の墓石が並んであり、境内の中ごろに内藤新宿の名もない遊女の墓である「子供合埋碑」があります。これらは、道路


拡張や墓地整理により現在地に移され区の文化財として保存されています。右手の墓地の手前に塚本明毅の墓碑があります。
正覚寺の隣に正受院があります。門を入って右側に奪衣婆像が安置されている堂があります。銅の横に針塚と小見外次郎翁の胸像と記念碑があります。奥にある鐘楼の鐘は「平和の鐘」と呼ばれ、太平洋戦争で拠出した鐘がアメリカで見つかり返還されたものです。
正受院を出て新宿御苑の方向へ行くと太宗寺に出ます。門を入るとすぐ右手に江戸六地蔵があります。夏目漱石が幼少時代にこの地蔵の上に登って遊んだことを小説に書いています。漱石は当時、母方の実家である近くの内藤新宿の楼に住んでいたとのことです。境内には閻魔堂、不動堂、塩かけ地蔵、切支丹灯籠、内藤家墓所などがあります。
太宗寺を出て四谷方面に行くと花園公園があり三遊亭円朝の住居跡があります。
ここから南に向かい、新宿御苑の大木戸門の手前に「内藤新宿開設三百年記念碑」があります。新宿御苑の塀沿いに旧玉川上水跡が親水公園となっています。
四ツ谷四丁目の交差点にある区民ホールの裏手に四ツ谷大木戸跡、水番所跡、水道碑記があります。


新宿御苑に沿って南に行くと内藤家の氏神多武峰神社があります。ここには内藤家が新宿に領地を得た逸話の駿馬塚があります。訪れる人もなく神社境内の奥にひっそりと建っています。 四ツ谷四丁目の交差点へ戻る途中に詩人斉藤茂吉の終焉の地があります。ビルの壁に息子が書いた碑文がはめ込まれています。 四ツ谷四丁目の交差点から四谷三丁目の交差点へ行く途中に笹寺があります。


門を入った右手の壁沿いに「四ツ谷勧進角力始祖」の碑が立っています。案内版もなく見落としそうです。本堂の横に「蝦蟇塚」があり、信濃町医にある慶応大学病院の実験動物を供養したものです。

四ツ谷三丁目の交差点の角に消防博物館があります。10階で一休みした後、各階の展示品を鑑賞後、受付にお願いして記念写真を撮りました。
四ツ谷三丁目の交差点から信濃町方面に進み、目指す「お岩神社」に行きます。ここには「田宮神社」とその向かいに「お岩稲荷」の赤い幡が林立する陽運寺があります。
陽運寺は昭和の初めに建立された寺で、本堂に「お岩」さんの木像を祀ってあ


るとのことです。また「お岩」さんも使用してであろうという井戸があり区の文化財に指定されています。
「田宮神社」は元々田宮家の屋敷であったところで、「お岩」さんが屋敷神として信仰し、家運が興隆し、御利益ある神として一般に公開されたという。怪談噺は事実と違うが歌舞伎が流行ったことにより神社の人気も上がった。
明治の初め火災で焼け、銀座の新川に本宮は移ったが田宮家が元の地に分祀


したことにより本宮に準じる扱いとなっています。
「田宮神社」と「陽運寺」の両方をお参りしたあと信濃町へ向かう途中、「北向き毘沙門天」が祀られている本性寺に寄りました。境内で住職と会い、住職さんが毘沙門堂の中を案内してくださいました。堂の中に蔵があり、その中に毘沙門様が安置されていました。
3時頃には雨も上がり、夕暮れ前にJR信濃町駅で解散しました。



散策コース地図

開催案内