第23回大江戸ワープの実施内容
下記のとおり開催しました
小石川散策「茗荷谷から小石川後楽園まで」
〜坂の多い小石川、沿道にある家康の生母の
菩提寺や徳川家ゆかりの地を訪ねる〜

平成23年12月1日(木)、昨夜来の雨も茗荷谷駅集合時間11時には止み、前日と10度以上も温度差がある真冬の寒さの中、参加者18名が揃いました。

今にも雨が降りそうな、どんよりとした曇り空の下、茗荷谷坂を下り、最初の訪問場所林泉寺にむかいました。参道の階段を上る中ほどに「縛られ地像」がある。この地像尊は「大岡政談」に出てくる地像尊ではなく、願いごとをするときに地像さまを縄で縛り、願い事が叶えられると縄を解くという。地像は縄の中に姿形を隠すほどに縛られており、横には縛るための縄まで用意されている。
坂をさらに下ると深光寺がある。参道の坂を上ると本堂がある。本堂の右前に小石川七福神の恵比寿像が鎮座している。本堂の前の左にある墓地の手前こ滝沢馬琴夫婦の墓がある。奥に馬琴が晩年目が見えなくなり口述をした息子の嫁の墓がある。


地下鉄のガードをくぐった先に藤棚があるお寺がある。3代将軍家光が鷹狩りののおり、見事な藤の花が咲いており「藤寺」と称するようにと伝わる。

藤寺の前から藤坂を上り春日通りへ出る。桜並木がある広い通りの播磨坂を少し下ったところにあるイタリアンレストラン「タンタローバ」で昼食をとる。
12時前であるが冷えた身体には丁度良い時間であり、店は貸切でゆっくりと歓談の時間が持つことができた。十分に暖をとり、店の前で記念写真をとった後、播磨坂を下り、次の訪問場所に向かう。
「石川啄木の終焉の地」はビルの入口に案内板があるのみで当時の家は存在しない。この地は、前回訪れた本郷の「喜之床」から移り、8ヶ月後に26歳の若さで亡くなったところである。


播磨坂に戻り、少し下った所のマンション「小石川パークタワー」の前に「極楽水」の案内板がある。マンションの建物の横にある庭に小石川七福神の弁財天の小さな祠の前に井戸の石組が造られ、当時の面影を残している。ここは、浄土宗中興の了誉上人が庵を建て、寿経寺となり、「於大の方」の菩提寺として今の伝通院の地に移った。その後「極楽水」は宗慶寺の境内にあったが、今ではマンションの敷地内となっている。
マンションの横を抜けて吹上坂に出る。ここにも「極楽水」の案内板がある。坂を少し下ると宗慶寺がある。ここには家康の6男忠輝の生母「茶阿局」の宝篋印塔が本堂階段下脇にあるが、注意して見ないと分からない。なお、この寺は小石川七福神の福禄寿が祀られている。
さらに吹上坂を下りと小石川植物園の前にある新福寺にでる。寺の入口には「鐘撞料割付覚」に関する案内板があるが、夏目漱石が予備校受験時にこの寺で自炊していたと書いている。また、新撰組の近藤勇が世話になったという手紙が京都の東本願寺に残っている。
小石川植物園は5代将軍綱吉が将軍になる前の屋敷跡で幕府薬草園となり明治になってから東京大学の植物園となる。入場券は正門入口でなく、前の米屋で売っている。正門受付に籠に詰められたカリンの実があり、無料で提供されていた。
正門の前の坂道を上ると赤く色付いたイロハモミジの通りに出る。この通りに沿ってメンデルの葡萄、ニュートンの木がある。小石川養生所の井戸、甘藷試作畑跡、分類標本園、薬園を回って正門に戻るまで、三分の一程度観るのに小一時間を要した。
イロハモミジ通り ニュートンの木 小石川養生所の井戸 色づく木々

植物園を出て坂を上ると伝通院裏にある真珠院にでる。此処は於大の方の実家である水野家の菩提寺であり、小石川七福神の布袋尊が祀られている。水野家の墓所は真珠院の隣に通りに面した場所にある。
塀越しに古色ある宝塔の頭を見ながら回り込むように伝通院の正面にでる。
今年は浄土宗開祖の法然上人800年大遠忌との事で、戦災で全て焼けた伽藍の復興の一部として山門が再建された。工事が完全に終了していないが立派な山門が建っている。本堂の斜め後方に於大の方の墓所がある。この墓所の前の一般の墓石の間から見える球形の墓が作家柴田錬三郎の墓である。おくに進むと徳川家の墓所があり、一際大きいのが千姫の墓所である。家光の正妻の墓、将軍の側室や夭逝した子等の墓がある。
アララギ派の古泉千樫、佐藤春夫、清河八郎などの墓所を巡り伝通院をでる。出て右手に小石川七福神の大黒天を本尊とする福聚院があるが、通り過ぎて春日通りを渡り、安藤坂を下る。途中に中島歌子の歌塾「萩の舎」跡の案内板が歩道の車道側にある。現在はマンションが建ち面影は何もないが、樋口一葉がここに通い、和歌・書・古典を学んだ場所である。前回訪れた本郷の菊坂の一葉の家跡はここに通うのに近い所として選ばれたという。
安藤坂を下った左手奥に北野神社(通称牛天神)がある。長い階段をのぼると、芸能の神として賑わったという境内社の「太田神社」があり、奥に北野神社がある。源頼朝が東国経営途中、下の入江で舟泊まりで午睡中、菅原道真が夢に現れたという伝説があり、本殿前にある牛石を撫でると願いごとが叶えられるという。本殿前の広場の端、崖淵近くに中島歌子の歌碑がある。
この後、小石川後楽園に行く予定になっていたが、既に4時近くになっており、ここで解散することになった。ここから飯田橋駅(JRまたは地下鉄)にでる。雨に降られなっかた寒い一日であった。



散策コース地図

開催案内